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2018.09.10 名古屋の酷暑
最近、やっと涼しくなってきました。
朝晩などは、むしろひんやりすることすらあります。

今年は、例年にない猛暑でした。
この所、毎年そんなことを言っている気がしますが、今年は本当に特別でした。
何しろ、気象庁がわざわざ会見を開いて「災害レベル」と注意喚起するという、前代未聞の事態。
あちこちで野外イベントが中止になり、担当者の「好天でイベントが中止になるなんて、聞いたことがない」とのボヤキがネット上に上がれば、「イベントが中止になるほどの好天も聞いたことがない」というツッコミが入ったり。
西日本豪雨があったかと思えば、台風がUターンして東から来たり、今度は19・20号が立て続けにやってきて、その上21号が凄まじい爪痕を残して、とどめに翌日北海道での地震と、まさに異例の事態が続いています。

地震のせいであれほどの猛威を振るった台風21号も霞んでしまい、関西空港の被害もそっちのけで地震の報道に忙しいマスコミです。
幸い、ウチの病院は大した被害もありませんでした。

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さて、前回書いたように私は毎週東海と関東を往復しておりますが、ハッキリ言って、東京や茨城の熱さは、名古屋(及びその周辺地域)の比ではありません。
海抜ゼロメートル地帯だからなのでしょうか、それとも木曽・長良・揖斐川と言う大きな川が3本もあるせいでしょうか、とにもかくにも湿度が高い!!
以前住んでいたマンションでは、大きめのサイズの湿気取りが5日ぐらいで液状になっていました。
ジェル状を通り越して、液状です。関東に住んでいたころは、そんなの見たことも聞いたこともありません。

家内が知人の通訳から数年前に(今年の話ではありません)聞いた話では、インドネシア人やタイ人、インド人などおよそ暑いと言われる国の人々が、揃いも揃って「ウチの母国はこれほどじゃない」と音を上げるほどなのだそうです。

そんな風ですから、茨城県の人がいくら「暑い」だの「死にそう」だのと言っても、全く響いてきません。
「だよね~」と言うより、「こんぐれぇでなぁに言ってんだっぺ?」(語尾上がり)と思ってしまいます。

行き帰りの電車でも、名古屋→東京→土浦と下車するたびに涼しくなっていきます。
行きはそれでも時間が遅くなるせいもあるのかなと思ったりしたこともあったのですが、さにあらず。

帰りは当然、土浦→東京→名古屋となるのですが、下車するたびに蒸し暑さが増します。
18:30の新幹線で東京を発つと、名古屋到着は20時を過ぎます。
なのに、名古屋の方が蒸し暑い。
どうしたことでしょうか。

それでも伊吹おろしでしょうか、夕方から西風が結構吹くのですが、21時以降、測ったようにピタリと止まります。
こうなるともう、エアコンなしではまさに蒸し風呂。

一体、東京五輪はどうなってしまうのでしょうか・・・。
周辺の救急関係者は今から青くなっているのでは・・・。

そう言えば、岐阜県の病院でエアコンが故障し、その直後に多くの患者さんがなくなるという事態がありました。
熱中症なのかどうなのか、続報がないのでまだ分かりませんが、かねてから度々エアコンが故障していたとのこと、対応が後手に回ったのは否めません。
当院でも、認知症治療病棟のエアコンが一部故障しました。ナースステーションだけだったので、まだ大事には至りませんでしたが・・・。
病院でエアコンが故障すると、院内は暑くなりますが、院長や事務長は背筋が寒くなります。
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2018.09.04 台風21号
気付けばもう、9月。5ヶ月近くもほったらかしでした。
この所、資料や原稿作りに追われ、落ち着く頃には体調を崩し、回復する頃にはそういう仕事が押している・・・と言う悪循環をたどり、ブログにそそぐ時間と体力はありませんでした。
中には「先生、次はいつ?」と催促して下さる方もあり、いやはや申し訳ありませんでした。

閑話休題。

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今日は台風21号が接近しています。
火曜日は毎週、名古屋駅近くにある付属の診療所で睡眠外来を担当しているのですが、
さすがに今日は患者さんのキャンセルも相次いでおり、今日の睡眠外来はいつもよりヒマです。

この診療所、名鉄百貨店・メンズ館の2階にあるのですが、今日は周りのお店――エステのお店やカフェ、ヤマダ電機なども休みですし、母体の名鉄百貨店も既に閉店していて、窓からは明かりの消えた売り場が見えます。
こんな光景、まず見ることが無いので、ちょっと「おお~・・・」という感じです。

ただ、私も18時過ぎには新幹線に乗って東京方面へ向かう予定なのですが・・・東海道新幹線も止まっているようです。
果たして、今日中に茨城までいけるのでしょうか・・・?

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9/10追記

結局、1本だけ動いたこだまに乗って、東京駅に着いたのは24:15。
信号待ちだの徐行運転だので、名古屋から東京まで結局5時間近くかかりました。
翌朝は早めの特急に乗って、何とか診療には間に合いました。
まあでも、翌日ニュース映像見たら、むしろこんなもんで済んでよかったと安堵しました。
3月は色々忙しくて、気が付いたら1ヶ月以上ほったらかしになっていました。
「続きは次回に」などと予告しておいて、こんなに時間が経ってしまうと、もはや事件として旬が過ぎてしまいました。
ま、気を取り直して前回の続きです。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

さて、このケースで、報道によれば、患者は15歳で発症し、各種の問題行動を起こしたということですから、恐らくは統合失調症、中でも「解体型」と呼ばれる、重症化しやすいタイプだったと推測されます。
そう言う場合、本人には「自分が病気である」という自覚はなく、説得にも絶対に応じませんから、そもそも医療を受けさせること自体が猛烈に困難です。
それでも昔は精神科医が往診して自宅に出向き、患者を説得したり、その場で投薬して病院に連れてくるということも通常診療の範囲内であったようですが、現在そう言った診療形態は認められていません。
つまり、病院に来るまではほとんどすべて家族任せなのです。
一応、病識がなく、受診を拒否する患者・家族のために、移送という制度もあるにはありますが、実際には絵に描いた餅。都道府県により差はあるようですが、愛知県ではほとんど何の役にも立っていません。
そういう背景があって、大声で叫び、暴れ、暴力をふるって受診を拒み続ける我が娘をどうするのか。
ひた隠しにするしかなかったのでしょう。

とは言え、16年前からと言えば、平成13年頃です。精神保健福祉法をはじめ、各種医療・保健・福祉制度も、少なくとも外形だけは整っていた時代です。しかも、一時は精神障害者手帳も取得していたとのことですから、発症以来全く医療を受けていなかった訳ではない、ということです。
それならば、以前かかった病院とか、役場の障害福祉課とか、色んな相談窓口はあったはずです。
治療を受ける権利も患者さんの重要な権利。
今回の事例は、親がそれを侵害した事例とみることもできます。
色々複雑な背景事情があったのでしょう。
単純に親を責めるのは気の毒ですが、それでも、「娘が可愛かった」と言うのなら、生前に何とか医療につなげて欲しかったし、すべきであったと思います。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

一方で、「こういう患者は精神科病院では保護室に入れられる、保護室と言うのはひどい所で、外から鍵をかけて閉じ込められて、人権を蹂躙されまくる、精神医療のブラックボックスだ」的な報道も見受けられますが、一体いつの時代の話をしているのでしょうか。それこそ、昭和の時代、それも昭和30~40年代ごろの話です。
「精神医療に詳しいジャーナリスト」とやらに話を聞いたという態で、週刊誌などがそう言う記事を載せていたりしますが、全くもって迷惑千万な話です。一体、隔離や拘束がどれだけ厳格に法律に縛られているか、知っているのでしょうか。

ただ、こういういかがわしいジャーナリズムに負けないように、何よりもこのような患者さん・親御さん達が今後生まれないように、私達もこの事件を教訓に、もっと啓発活動に精を出さなければいけませんね。
国や行政の側にも、もっと法制度の整備や広報活動、そして運用の徹底に力を尽くして欲しいと思います。
さて、このケースで、報道によれば、患者は15歳で発症し、各種の問題行動を起こしたということですから、恐らくは統合失調症、中でも「解体型」と呼ばれる、重症化しやすいタイプだったと推測されます。
そう言う場合、本人には「自分が病気である」という自覚はなく、説得にも絶対に応じませんから、そもそも医療を受けさせること自体が猛烈に困難です。
それでも昔は精神科医が往診して自宅に出向き、患者を説得したり、その場で投薬して病院に連れてくるということも通常診療の範囲内であったようですが、現在そう言った診療形態は認められていません。
つまり、病院に来るまではほとんどすべて家族任せなのです。
一応、病識がなく、受診を拒否する患者・家族のために、移送という制度もあるにはありますが、実際には絵に描いた餅。都道府県により差はあるようですが、愛知県ではほとんど何の役にも立っていません。
そういう背景があって、大声で叫び、暴れ、暴力をふるって受診を拒み続ける我が娘をどうするのか。
ひた隠しにするしかなかったのでしょう。

とは言え、16年前からと言えば、平成13年頃です。精神保健福祉法をはじめ、各種医療・保健・福祉制度も、少なくとも外形だけは整っていた時代です。しかも、一時は精神障害者手帳も取得していたとのことですから、発症以来全く医療を受けていなかった訳ではない、ということです。
それならば、以前かかった病院とか、役場の障害福祉課とか、色んな相談窓口はあったはずです。
治療を受ける権利も患者さんの重要な権利。
今回の事例は、親がそれを侵害した事例とみることもできます。
色々複雑な背景事情があったのでしょう。
単純に親を責めるのは気の毒ですが、それでも、「娘が可愛かった」と言うのなら、生前に何とか医療につなげて欲しかったし、すべきであったと思います。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

一方で、「こういう患者は精神科病院では保護室に入れられる、保護室と言うのはひどい所で、外から鍵をかけて閉じ込められて、人権を蹂躙されまくる、精神医療のブラックボックスだ」的な報道も見受けられますが、一体いつの時代の話をしているのでしょうか。それこそ、昭和の時代、それも昭和30~40年代ごろの話です。
「精神医療に詳しいジャーナリスト」とやらに話を聞いたという態で、週刊誌などがそう言う記事を載せていたりしますが、全くもって迷惑千万な話です。一体、隔離や拘束がどれだけ厳格に法律に縛られているか、知っているのでしょうか。

ただ、こういういかがわしいジャーナリズムに負けないように、何よりもこのような患者さん・親御さん達が今後生まれないように、私達もこの事件を教訓に、もっと啓発活動に精を出さなければいけませんね。
国や行政の側にも、もっと法制度の整備や広報活動、そして運用の徹底に力を尽くして欲しいと思います。
およそ1ヶ月前、前回の記事を投稿した日に報道されたニュースで、大阪・寝屋川市で、プレハブ小屋に閉じ込められていた女性が、亡くなっていたそうです。
精神を病んでいたらしいのですが、体重は19㎏、暖房設備もないプレハブ小屋で死んでいたとのことです。
痛ましい事件です。
しかしながら・・・。

正直な所、近年でも1,2年に1件ぐらい、当院でも似たような事例があります。
そして、以前はそう言うケースは当院でも全国でも、うんざりするほどありました。
・・・などと、私も見てきたように書いていますが、これは聞いた話です。
いったい誰から聞いたのか。
両親です。

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当院の開業は昭和50(1975)年。開業当時は人手が足りず、医療職ではない母も無資格でもできる事務仕事や厨房を手伝っていたのですが、ずぶの素人の母ですらそんな内情を知っているほどでした。
当時、そういった1件1件をつぶさに聞いたわけではもちろんないですが、私が成人して医師になり、精神科医療に従事するようになってから、当時の思い出話は良く聞きました。

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掘っ立て小屋のような粗末な、隙間風だらけのあばら家に閉じ込められ、一歩も外に出してもらえず、3度の食事が与えられればまだいい方だとか、ボロボロの、衣服とは呼べなくなった布切れだけをまとい、体は垢で真っ黒、髪は伸び放題、蚤も虱もわんさかいて閉口したとか、もう枚挙にいとまがありません。
当時は、自分の家族に精神病患者がいるなんてことが近所にバレたら、一家丸ごと頭のおかしい連中(当時は「気違い」と呼んでいましたね」)として扱われかねない、嫁の貰い手や来手がなくなるってことで、受診・入院するにもわざわざ遠方(時には県をまたいだり)の病院を選んだりした例も珍しくありませんでした。
そんな訳ですから、一旦入院したら、なかなか自宅に返してもらえない。たまの外泊などはさせてもらえても、親族の集まる盆暮れ正月などは、事前に母親なんかが現れて、「今年も許しておくれ」などと慰めていき、病棟に「今年もよろしくお願いします」などと言って、お菓子を置いて帰る・・・そんな光景もざらだったようです。

知らない人が、こんな事情を知ったら、それはそれはショッキングでしょう。

ただ、単純に親を猟奇的だの鬼畜だのと責めるのは、事情を知らない外野の、敢えて言いましょう、たわごとです。
こうなってきた背景には、それこそ日本全体の文化・社会制度などなどが複雑に絡み合ってそう言う家族が生まれる素地を作り出してきたのです。

その辺の背景事情については、いずれ改めて熱く語りたいと思いますが、もう少しこのケースについてお付き合いください。

長くなりそうなので、続きは次回に。
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