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3月は色々忙しくて、気が付いたら1ヶ月以上ほったらかしになっていました。
「続きは次回に」などと予告しておいて、こんなに時間が経ってしまうと、もはや事件として旬が過ぎてしまいました。
ま、気を取り直して前回の続きです。

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さて、このケースで、報道によれば、患者は15歳で発症し、各種の問題行動を起こしたということですから、恐らくは統合失調症、中でも「解体型」と呼ばれる、重症化しやすいタイプだったと推測されます。
そう言う場合、本人には「自分が病気である」という自覚はなく、説得にも絶対に応じませんから、そもそも医療を受けさせること自体が猛烈に困難です。
それでも昔は精神科医が往診して自宅に出向き、患者を説得したり、その場で投薬して病院に連れてくるということも通常診療の範囲内であったようですが、現在そう言った診療形態は認められていません。
つまり、病院に来るまではほとんどすべて家族任せなのです。
一応、病識がなく、受診を拒否する患者・家族のために、移送という制度もあるにはありますが、実際には絵に描いた餅。都道府県により差はあるようですが、愛知県ではほとんど何の役にも立っていません。
そういう背景があって、大声で叫び、暴れ、暴力をふるって受診を拒み続ける我が娘をどうするのか。
ひた隠しにするしかなかったのでしょう。

とは言え、16年前からと言えば、平成13年頃です。精神保健福祉法をはじめ、各種医療・保健・福祉制度も、少なくとも外形だけは整っていた時代です。しかも、一時は精神障害者手帳も取得していたとのことですから、発症以来全く医療を受けていなかった訳ではない、ということです。
それならば、以前かかった病院とか、役場の障害福祉課とか、色んな相談窓口はあったはずです。
治療を受ける権利も患者さんの重要な権利。
今回の事例は、親がそれを侵害した事例とみることもできます。
色々複雑な背景事情があったのでしょう。
単純に親を責めるのは気の毒ですが、それでも、「娘が可愛かった」と言うのなら、生前に何とか医療につなげて欲しかったし、すべきであったと思います。

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一方で、「こういう患者は精神科病院では保護室に入れられる、保護室と言うのはひどい所で、外から鍵をかけて閉じ込められて、人権を蹂躙されまくる、精神医療のブラックボックスだ」的な報道も見受けられますが、一体いつの時代の話をしているのでしょうか。それこそ、昭和の時代、それも昭和30~40年代ごろの話です。
「精神医療に詳しいジャーナリスト」とやらに話を聞いたという態で、週刊誌などがそう言う記事を載せていたりしますが、全くもって迷惑千万な話です。一体、隔離や拘束がどれだけ厳格に法律に縛られているか、知っているのでしょうか。

ただ、こういういかがわしいジャーナリズムに負けないように、何よりもこのような患者さん・親御さん達が今後生まれないように、私達もこの事件を教訓に、もっと啓発活動に精を出さなければいけませんね。
国や行政の側にも、もっと法制度の整備や広報活動、そして運用の徹底に力を尽くして欲しいと思います。
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さて、このケースで、報道によれば、患者は15歳で発症し、各種の問題行動を起こしたということですから、恐らくは統合失調症、中でも「解体型」と呼ばれる、重症化しやすいタイプだったと推測されます。
そう言う場合、本人には「自分が病気である」という自覚はなく、説得にも絶対に応じませんから、そもそも医療を受けさせること自体が猛烈に困難です。
それでも昔は精神科医が往診して自宅に出向き、患者を説得したり、その場で投薬して病院に連れてくるということも通常診療の範囲内であったようですが、現在そう言った診療形態は認められていません。
つまり、病院に来るまではほとんどすべて家族任せなのです。
一応、病識がなく、受診を拒否する患者・家族のために、移送という制度もあるにはありますが、実際には絵に描いた餅。都道府県により差はあるようですが、愛知県ではほとんど何の役にも立っていません。
そういう背景があって、大声で叫び、暴れ、暴力をふるって受診を拒み続ける我が娘をどうするのか。
ひた隠しにするしかなかったのでしょう。

とは言え、16年前からと言えば、平成13年頃です。精神保健福祉法をはじめ、各種医療・保健・福祉制度も、少なくとも外形だけは整っていた時代です。しかも、一時は精神障害者手帳も取得していたとのことですから、発症以来全く医療を受けていなかった訳ではない、ということです。
それならば、以前かかった病院とか、役場の障害福祉課とか、色んな相談窓口はあったはずです。
治療を受ける権利も患者さんの重要な権利。
今回の事例は、親がそれを侵害した事例とみることもできます。
色々複雑な背景事情があったのでしょう。
単純に親を責めるのは気の毒ですが、それでも、「娘が可愛かった」と言うのなら、生前に何とか医療につなげて欲しかったし、すべきであったと思います。

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一方で、「こういう患者は精神科病院では保護室に入れられる、保護室と言うのはひどい所で、外から鍵をかけて閉じ込められて、人権を蹂躙されまくる、精神医療のブラックボックスだ」的な報道も見受けられますが、一体いつの時代の話をしているのでしょうか。それこそ、昭和の時代、それも昭和30~40年代ごろの話です。
「精神医療に詳しいジャーナリスト」とやらに話を聞いたという態で、週刊誌などがそう言う記事を載せていたりしますが、全くもって迷惑千万な話です。一体、隔離や拘束がどれだけ厳格に法律に縛られているか、知っているのでしょうか。

ただ、こういういかがわしいジャーナリズムに負けないように、何よりもこのような患者さん・親御さん達が今後生まれないように、私達もこの事件を教訓に、もっと啓発活動に精を出さなければいけませんね。
国や行政の側にも、もっと法制度の整備や広報活動、そして運用の徹底に力を尽くして欲しいと思います。
およそ1ヶ月前、前回の記事を投稿した日に報道されたニュースで、大阪・寝屋川市で、プレハブ小屋に閉じ込められていた女性が、亡くなっていたそうです。
精神を病んでいたらしいのですが、体重は19㎏、暖房設備もないプレハブ小屋で死んでいたとのことです。
痛ましい事件です。
しかしながら・・・。

正直な所、近年でも1,2年に1件ぐらい、当院でも似たような事例があります。
そして、以前はそう言うケースは当院でも全国でも、うんざりするほどありました。
・・・などと、私も見てきたように書いていますが、これは聞いた話です。
いったい誰から聞いたのか。
両親です。

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当院の開業は昭和50(1975)年。開業当時は人手が足りず、医療職ではない母も無資格でもできる事務仕事や厨房を手伝っていたのですが、ずぶの素人の母ですらそんな内情を知っているほどでした。
当時、そういった1件1件をつぶさに聞いたわけではもちろんないですが、私が成人して医師になり、精神科医療に従事するようになってから、当時の思い出話は良く聞きました。

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掘っ立て小屋のような粗末な、隙間風だらけのあばら家に閉じ込められ、一歩も外に出してもらえず、3度の食事が与えられればまだいい方だとか、ボロボロの、衣服とは呼べなくなった布切れだけをまとい、体は垢で真っ黒、髪は伸び放題、蚤も虱もわんさかいて閉口したとか、もう枚挙にいとまがありません。
当時は、自分の家族に精神病患者がいるなんてことが近所にバレたら、一家丸ごと頭のおかしい連中(当時は「気違い」と呼んでいましたね」)として扱われかねない、嫁の貰い手や来手がなくなるってことで、受診・入院するにもわざわざ遠方(時には県をまたいだり)の病院を選んだりした例も珍しくありませんでした。
そんな訳ですから、一旦入院したら、なかなか自宅に返してもらえない。たまの外泊などはさせてもらえても、親族の集まる盆暮れ正月などは、事前に母親なんかが現れて、「今年も許しておくれ」などと慰めていき、病棟に「今年もよろしくお願いします」などと言って、お菓子を置いて帰る・・・そんな光景もざらだったようです。

知らない人が、こんな事情を知ったら、それはそれはショッキングでしょう。

ただ、単純に親を猟奇的だの鬼畜だのと責めるのは、事情を知らない外野の、敢えて言いましょう、たわごとです。
こうなってきた背景には、それこそ日本全体の文化・社会制度などなどが複雑に絡み合ってそう言う家族が生まれる素地を作り出してきたのです。

その辺の背景事情については、いずれ改めて熱く語りたいと思いますが、もう少しこのケースについてお付き合いください。

長くなりそうなので、続きは次回に。
1985年前後でしょうか、水曜の夜だったと思いますが、時代劇をやっていた時期がありました。確か、夜8時からだったかな・・・。
ネット情報ですと、NHKの大河ドラマで「山河燃ゆ」「いのち」「春の波濤」と、近代モノを3年連続でやった時期があって、その時に時代劇ファンを満足させるために大河ドラマに変わるものとして制作したのだそうですが、1作目が確か「真田太平記」。丹波哲郎の真田昌幸がやけに渋かった記憶がありましたが、その次の年が「武蔵坊弁慶」。
この、武蔵坊弁慶のオープニングテーマを作曲したのが、芥川也寸志なのです。
物悲しくて、とても大好きな曲です。
そして、この時の主人公、弁慶を演じたのが誰あろう、中村吉右衛門です。
おっと、ここで吉右衛門再登場。
前回の大石内蔵助とつながりました。
・・・ということで、すみません、今回はただもう吉右衛門礼賛です。

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弁慶にまつわる名場面と言えば、何と言っても勧進帳。
当然ながら、歌舞伎では定番の演目です。
客の入りがいいので何度も何度も上演されるため、「安宅関」をもじって「またかの関」と言われるほどなのだそうです。

TVドラマでの弁慶と言えば、これまた大河ドラマの「源義経」が記憶に新しい所です。
義経がタッキー、弁慶を松平健が演じました。
私は見ていないのですが、これまたネット上で鑑賞することができます。
松平健の弁慶が勧進帳を読み上げるくだり。ネット上では重厚だとか絶賛の意見が多数乗っていましたが、何の何の。
吉右衛門のそれと比べると、学芸会レベルです。
いや、本職の歌舞伎役者と比べちゃ可哀想ってもんなのですが、それぐらい吉右衛門の弁慶の読み上げ方がいいんです。
むしろ、歌舞伎での勧進帳の読み上げは、リズムが独特過ぎていささか飽きるのですが(ネット上では團十郎や海老蔵の物を見ることができます。余談ですが、先年亡くなった團十郎の声が、私はあまり好きではありません)、このドラマでの読み上げは素人にも分かるド迫力。
相手の富樫もこれまたいいんです。役者は、児玉清。もはや「アタック25」の司会としての印象しかないのですが、彼の富樫もとてもいい演技でした。

弁慶が偽山伏であることの尻尾を掴もうとする富樫と、対峙する弁慶。
その丁々発止のやり取りも迫力があってとてもいいのですが、それに引き続く勧進帳の読み上げ。
ここはもう、吉右衛門の歌舞伎役者としての面目躍如と言ったところです。
まあ彼は本職なので、歌舞伎ではそんなことばっかりやっている訳ですから、他の人と比べてはいけないのでしょうが、とにかくいいんです。
読み上げている途中に富樫が「義経を捕らえた、家来たちも全員討ち死にした」とカマをかけ、家来たちがじりっ、じりっと間合いを狭める中。
「無礼なり、控えよ!!」と大喝する姿が、これまたド迫力。

結局富樫は弁慶を見逃がしてくれて、切り抜けたかと思いきや、港で義経が疑いをかけられます。役人の目を欺くために弁慶が義経を散々に打擲すると言う、これまた有名な場面。
弁慶が、主人を指して「天下の大罪人」だといい、「義経」と呼び捨てにし、「この新参者」「粗忽者」と罵倒する。
この時代では、万死に値する行いのはず。
のみならず、引きずりまわした末に、本気でバンバン打ち据える。役人が「もういい」と止めても打ち続け、呆れた役人が「折檻なら別のところでせよ」と追い返すまで続きます。周囲の部下たちも固まって動けない、緊張感あふれる場面です。
とどめに、関所を出る時も「ワシの笈も背負わせろ、罰だ」と更に負荷をかける念の入れよう。とにかく役人に疑われないよう、念には念を入れて義経を追い込みます。
で、役人の目が届かなくなった辺りまで来たところで、「申し訳ない」と涙ながらに平謝りするも、義経は「何も言うな、分かっておる」と理解を示す。これまた有名な、主従の絆を描く感動場面です。
ここら辺りも、元の筋書きがいいのはもちろんですが、それぞれの役者がいい演技をします。最後に弁慶が感動して大泣きするところも、まさに号泣、男泣きという表現がぴったりくる迫真の演技です。

これも、本当は著作権法違反なのでしょうが、ネットで見ることができます。
知らない人にはぜひ見て頂きたいものです。

ということで、今回はひたすら吉右衛門礼賛で終わりました。悪しからず。
病院にもお歳暮が届くようになり、年賀状の準備も始め、気ぜわしくなってくる時期です。
第九や紅白などの風物詩もあり、TVの年末番組が気になったり。
そんな12月の風物詩の1つに、赤穂浪士があります。
赤穂浪士の吉良邸討ち入りが元禄15年の12月14日に行われたことがその由来のようですが、これは旧暦。現在の暦では1月30日になるようです。なるほど、江戸でも雪が降る訳です。

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最近でこそあまりやらなくなりましたが、一時期は各局が大物俳優を起用して毎年のように赤穂浪士のドラマを放送していました。
生の頃は特に見ていなかったのですが、ネット上にその動画があって、YouTubeで見られます。
厳密には著作権法違反なのでしょうが、ユーザーとしては便利かつ有難いものです。
大石内蔵助役は、中村吉右衛門、松方弘樹、杉良太郎とか、松平健とか、色々大物が起用されています。

赤穂浪士モノのドラマは、大河ドラマでも何度か制作されています。
「峠の群像」の頃はすでに物心ついていたのですが、なぜかその頃は全く興味を覚えず、全然見ていませんでした。その前の年の「おんな太閤記」は見ていたのですが。

大河ドラマのオープニング曲はCDになっていて、実はそれを持っているですが、大河ドラマの2作目がまさに「赤穂浪士」。
このドラマ自体は当然見ていないのですが(生まれる前です)、このオープニングテーマがお気に入りでして。
オープニングテーマを作曲した芥川也寸志は、芥川龍之介の三男だそうです。
で、この芥川也寸志が、NHKの別のドラマのオープニングを作曲しています。
この別のドラマと言うのが・・・

長くなりそうなので、以下はまた次回に。
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