ウチの病院はもともと、精神科単科の病院ですが、いま内科病棟を作っています。
その工事が終わりました。
多少の残工事はありますが、基本部分は完成し、後は保健所の検査を残すのみです。
ほぼ完成した新しい病棟を見ていると、「おお~・・・」と思います。

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思えば一昨年。
12月に駆け込みで一般病床の取得に走りました。

ご存じない方のために説明しますと、病院のベッドというのは、誰でも好きなように作れる訳ではなく、県の許可がいります。
そして、医療は政策と深く関わるので、県内全体のベッド数と言うのは、きちんと管理されています。
具体的には、2次医療圏という圏域(当院の場合は尾張西部医療圏と言い、稲沢市と一宮市で構成されています)に一般病床がいくつ、精神科病床がいくつ・・・と割り当てられていて、簡単に言うと欲しい人(病院)が手を上げてそのパイを取り合うという仕組みです。
私としては、過去の経験から、当院でも内科病棟の必要度は高く、自分が内科医と言うこともあって、どうしても内科病棟が欲しい、いつかは内科病棟を・・・と狙っていたのですが、たまたま平成27年秋に「一般病床に空きができた」という情報を得たので、獲得に動いたという訳です。

申し込みの締め切りまで時間がない中を、懇意にしている山田設計さん(稲沢市)に無理をお願いして、ほぼ1ヶ月で基本計画(大雑把な建築図面)まで形にして、提出。併せて、県の健康福祉部や保健所のご指導を仰ぎつつ、医師会長の先生方にもご挨拶に伺い、計画の説明をしたところ、幸いにも快くご理解頂くことができました。その後も色々ありましたが、概ね計画通り認められ、めでたく認可が下りました。それが平成28年の2月頃でしたでしょうか。
そこからは建築業者の選定です。

この時は、本当に不思議な縁としか言いようがない出会いで清水建設の方々と知り合うことになり、その全員が「これは」と思わせてくれる人物だったので、これはもう清水建設という会社の良さだろうと思い、清水建設にお願いすることにしました。
結果として、この勘は当たりました。本当にいい仕事をしてくれました。
こうして建築業者の選定は滞りなく済み、実施設計に入りました。実施設計に入った頃は、「本当に出来上がるんだろうか」と思ったものですが・・・・。

清水建設始め、工事関係者の皆さんのご協力もあって、工期の遅れもなく順調に進みました。
清水建設内部の検査、設計事務所の検査、消防の検査は無事終了し、本日、施主としての完了検査を終えました。
あとは保健所の検査を経て月末に引き渡しを受ける予定です。
竣工式と内覧会は10月に予定していますが、関係の皆様方にご披露するのが今からもう楽しみです。

実際の稼働は11月からの予定です。
念願だった内科的治療と、難病の方の受け入れを、いよいよ当院でも始めます。
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今年の日本神経学会の総会は、京都。
例年5月にやるのですが、今年は9月。
なぜかと言うと、世界神経学会の大会と合同開催だからです。

そうです。
今年の世界神経学会の総会は、日本が主管なのです。

会場は、京都国際会館。
そりゃあもうわんさか外国人がいます(世界大会だから当然ですが)。
セッションも英語のものが多く、ちんぷんかんぷんです。

それでも口演は無理ですが、ポスターなら字面を追えば何とか大意はつかめます。つたない英語力を駆使して、少し勉強してきました。
ランチョンセミナーは日本語のものが多かったのですが、今一つ、いつもと同じような内容ばかりで代わり映えせず。

会場で、昔懐かしい友人とも会いました。
学会の楽しみのひとつです。

3連休の最終日だったせいか、帰りの駅と新幹線は凄い混雑。
英語の発表聞いてるより疲れました。

それでも、分からないなりに刺激になります。
乗り遅れないように、しっかり勉強しなければいけません。
今日は、職員の結婚式に出席してきました。


年に何度か、こうしたお呼ばれがあります。
最近は、人前結婚式が当たり前になりました。参列者を証人として、結婚の約束を取り交わすと言うものです。

そして、披露宴も様々に工夫が凝らされています。
ですが、おおよその形や流れは概ね定式化されていて、
①新郎新婦入場
②主賓挨拶
③乾杯
④ケーキ入刀&ファーストバウト
⑤歓談、新郎新婦と写真撮影
⑥お色直し、その間に子供時代からこれまでの過程のビデオ
⑦再入場
⑧歓談、友人・親族からの祝辞(時に会場の客に振られる)や出し物
⑨新婦から両親への手紙
⑩新郎新婦と両家の両親の挨拶→退場
⑪挙式から披露宴の途中までを編集したビデオを流す
⑫招待客退場
とまあ、大体こんなところです。④、⑤、⑧は入れ代わったりしますが。

そして、この中でプランナーがお涙頂戴を意図するところも、大体決まっています。
分かってはいるのですが・・・・
40歳を超えてから、猛烈に涙もろくなって、予想しているのに泣いちゃうんですよね、これが。
新婦から両親への手紙なんて、30代の頃は寒くて聞いてられなかったのに・・・。

幸い、今日は「新婦の友人から新婦にあてた手紙」と言うものがなかったので、泣きポイントが一つ少なかったのですが。
これも、めちゃめちゃありがちな場面です。
新婦の親友から新婦に祝辞、それは手紙の形でなされて、「〇〇ちゃん、ご結婚おめでとう。いつも通り、△△と呼ばせてもらうね」的な感じで始まり、「・・・だったよね」が多用され、途中で涙声になり何とか終わる・・・。
もう、みんな本当に、絵に描いたように一緒なんです。
正直、「また始まった・・・・」と思うんですが、それでももらい泣きしちゃうんですよね。

今日も、ダメでした。
⑥と⑨と⑪で、注文通りボロボロと。
今日などは、最初気丈に手紙を読んでいた新婦が、お母さんの手料理の話になった途端に一挙にこみあげてきたものがあったようで、「うっ」と声を詰まらせてしまって、そこでダメでした。
いや、その前に、新郎のおばさんという方が「今日はもう嬉しくて最初から泣きっぱなしで」なんて言うもんだから、もうその時点で危険水位に達してしまっていました。
一番いけなかったのは、⑪。
花嫁の父が、バージンロードを歩む顔が、嬉しそうな、照れくさそうな、寂しそうな、何とも複雑な顔で映り、新郎に引き継いで(その時は笑顔)、指輪交換などへ移っていく・・・
そこに、新婦の父親の顔がどアップで挟まれる訳です。
目に涙をいっぱいに溜め、プルプルとふるえて、懸命に涙をこらえている姿が。
こうやって思い出して書いてるだけでもう、いけません。
私に娘はいませんが、花嫁の父の気持ちを想像するだけでもう、泣けてきます。
挙式の時に花嫁の父親の後ろ姿を見るだけでぐっと来てしまいます。

2年ぐらい前には、しゃくりあげそうになってヤバかったこともあります。
親族でもない、職場の上司と言うだけの人がしゃくりあげてるなんて、どう考えても変でしょう。
さすがにこらえ切りましたが。

もっと年を取ったらどうなってしまうんでしょうか。

それでも、感動の涙と言うのは悪くないもんです。
ウェディングプランナーのあざとい演出にいささか辟易としながらも、式が終わって泣き終わった後は気分もすっきり。
泣くのって、気分が晴れるんですよね。

秋にももう1件、招待されています。
あぁまた、ぼろぼろ泣いてしまうんだろうなぁ。


よしひろくん、あやかさん、末永くお幸せに!!!
海老蔵の悲痛なブログの記事が連日マスコミをにぎわせています。
こうなってくると、マスコミの方も海老蔵を含む家族の悲しみを部数や視聴率につなげようと食い物にしている感じです。
ま、海老蔵の方もブログに書くことで何とか気持ちを保っているようなので、おあいこなのかもしれませんが。

それにしても、海老蔵は気の毒ですね。
父親の先代團十郎を亡くしたと思ったら奥さんの乳癌宣告、そして死去。
何でも、先代も若いうちに両親を失っているそうで・・・・。
何か呪われてるんじゃ・・・?


ところで、海老蔵の声は、先代の團十郎そっくりになってきましたね。
映像で見てびっくりしました。
正直、個人的には海老蔵も先代團十郎も歌舞伎役者として、あまり好きではないのですが・・・。
それにしてもそっくりです。
そう言えば、中村勘九郎と七之助も、勘三郎そっくりになってきました。
さすが親子です。


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さて、麻央さんの乳癌に関しては、初期検査でグレーとされ、本人からも「生検しなくても良いのか」との質問があったにもかかわらず「経過観察で良い」との結論が出されてしまった。これが結果的に最悪の結末を招いてしまった。
診断した医師は、麻央さんのことが報道されるたびに「お前が悪い」と言われているようで、きっと針の筵の思いを味わっているでしょう。

しかしながら、これが医療ミスかと言うと、単純にそうは言いきれないと思われます。
というのも、本人がまだ授乳中であったことや、一般的な癌の経過よりも恐ろしく急速に進行したことなどから、その時点で「半年後には遠隔転移するほど悪くなる」と判断できたのか、ということになろうかと思います。
訴えれば、民事裁判でなら何らかの賠償もありえなくはないでしょうが、これ自体を「判断ミスだ」と責め立てることは、単純にはできないと思います。後からなら何とでも言えます。肝腎なのは、その時点での判断が医学的に妥当であったかどうか、です。
医学的判断として「常識的だ」となれば、結果がいかに悪くても、それは医療ミスではありません。つまり、医師は結果責任を問われないのです。
これは、「人はいつか必ず死ぬ」「年を取れば老化し、弱っていく」という動かしがたい事実と、医学・医療は生物の自然現象である「疾病」を扱うことから、どうしても限界が生じる、ということが背景にあります。
重要なのは、「その時点での判断が医学的に妥当なものであったか否か」です。それが妥当なものである限り、結果が最悪であったとしても、医師(医療)は結果の責任を問われないのです。
海老蔵や麻央さんの心情としては察するに余りありますが、学問的にはそう言うことになります。

それでも、やりばのない怒りは当該の医師に向けられるでしょうね。
通常は、患者さんとそのご家族からだけ、非難の目を向けられる訳ですが、今回の場合は日本中、いや海外からも囂々たる非難が沸き起こるでしょう。
医師としては同情しますが、そう診断した医師を責めたくなる気持ちも、わかります。

他人事ではないですね。
私も内科医である以上、似たようなケースに遭遇する可能性がないとは言い切れません。
くわばらくわばら。
小林麻央さんが22日、亡くなりました。
連日、どの局でも報道しまくっていて、今日は追悼番組もありました。
一介のフリーアナウンサーでしたが、元々人気者だったし、成田屋・市川海老蔵の奥さんという立場もあって、如何に影響が大きかったのかを見せつけられます。
34歳という若さもそうですが、事の発端が乳癌の見逃しと言う、医師からすれば決して他人事とは思えない事態だったせいもあり、またデビューの頃からよく見ていたアナウンサーだったこともあり、注目していたんです。

骨や肺に転移し、酸素吸入のカニューレも巻いていたので、さぞかし痛かったり苦しかったりしたでしょうが・・・。
ブログの顔写真も、いかにも病人ぽくて、気の毒と言うほかありません。
それでも小さな幸せを見つけてはこまめに発信していた姿勢には脱帽です。

26日の海老蔵のブログで、勸玄君が突然泣き出した、それが「ママを失った事を必死に耐えていたんだ・・・とわかる泣き方でした」とあったのは・・・もう、痛ましいとしか言いようがありません。
母が亡くなったことを彼なりに理解し、受け止め、父を思いやって耐えていたのでしょう。
小さな子供を持つ同じ親として、切ないったらありません。
自分が病気になったらどうするかな・・・。
そんなことも考えてしまいます。


この若さで、しかも癌としても不幸な経過をたどって、小さな子供と大きな責任を背負った夫を残して死ななければならなかった悲劇に、どうしても「気の毒」「可哀想」となるのですが、それは本人の意思に反するそうです。
「病気になったことが私の人生を代表する出来事ではないから」と。
なるほど、その通りです。

海老蔵も、歌舞伎界を代表するプリンスと言う重大な立場にいながら、よく支え、ここまで看病してきたものです。いやはや脱帽です。

私も、これを機に自分が病気になった時のことを考えてみたいと思います。