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およそ1ヶ月前、前回の記事を投稿した日に報道されたニュースで、大阪・寝屋川市で、プレハブ小屋に閉じ込められていた女性が、亡くなっていたそうです。
精神を病んでいたらしいのですが、体重は19㎏、暖房設備もないプレハブ小屋で死んでいたとのことです。
痛ましい事件です。
しかしながら・・・。

正直な所、近年でも1,2年に1件ぐらい、当院でも似たような事例があります。
そして、以前はそう言うケースは当院でも全国でも、うんざりするほどありました。
・・・などと、私も見てきたように書いていますが、これは聞いた話です。
いったい誰から聞いたのか。
両親です。

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当院の開業は昭和50(1975)年。開業当時は人手が足りず、医療職ではない母も無資格でもできる事務仕事や厨房を手伝っていたのですが、ずぶの素人の母ですらそんな内情を知っているほどでした。
当時、そういった1件1件をつぶさに聞いたわけではもちろんないですが、私が成人して医師になり、精神科医療に従事するようになってから、当時の思い出話は良く聞きました。

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掘っ立て小屋のような粗末な、隙間風だらけのあばら家に閉じ込められ、一歩も外に出してもらえず、3度の食事が与えられればまだいい方だとか、ボロボロの、衣服とは呼べなくなった布切れだけをまとい、体は垢で真っ黒、髪は伸び放題、蚤も虱もわんさかいて閉口したとか、もう枚挙にいとまがありません。
当時は、自分の家族に精神病患者がいるなんてことが近所にバレたら、一家丸ごと頭のおかしい連中(当時は「気違い」と呼んでいましたね」)として扱われかねない、嫁の貰い手や来手がなくなるってことで、受診・入院するにもわざわざ遠方(時には県をまたいだり)の病院を選んだりした例も珍しくありませんでした。
そんな訳ですから、一旦入院したら、なかなか自宅に返してもらえない。たまの外泊などはさせてもらえても、親族の集まる盆暮れ正月などは、事前に母親なんかが現れて、「今年も許しておくれ」などと慰めていき、病棟に「今年もよろしくお願いします」などと言って、お菓子を置いて帰る・・・そんな光景もざらだったようです。

知らない人が、こんな事情を知ったら、それはそれはショッキングでしょう。

ただ、単純に親を猟奇的だの鬼畜だのと責めるのは、事情を知らない外野の、敢えて言いましょう、たわごとです。
こうなってきた背景には、それこそ日本全体の文化・社会制度などなどが複雑に絡み合ってそう言う家族が生まれる素地を作り出してきたのです。

その辺の背景事情については、いずれ改めて熱く語りたいと思いますが、もう少しこのケースについてお付き合いください。

長くなりそうなので、続きは次回に。
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