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ちょっと遅れてしまいましたが、本当は3月11日に更新するつもりでした。

今日はニュースでもこの話題で持ちきりです。もちろん、東日本大震災のことです。
あれから丸2年経ちましたが、まだ生々しい傷跡が残っています。

当時私は茨城県土浦市に住み、東京医大茨城医療センターに勤務していました。
たまたま、週1回の非常勤で愛知県にいたため震災の本番は難を逃れましたが、その後2日かけて茨城まで戻り、そのあと数日間泊まり込みました。幸いにしてガス以外のライフラインは復旧していましたが、ガソリンの枯渇や飲料水・食糧難などに数日間悩まされました。
その後も、国からの指令でいきなり「今日福島からの患者を搬送するから、〇時に受け入れろ」と指令が来て、その後も「除染はそっちで行え」「やっぱり途中で除染してから行く」「到着が●時間遅れる」「やっぱり今日は無し」と、二転三転四転、非常に振り回されました。私達は私立なのでまだ良かったのですが、公立病院や済生会病院、赤十字病院などは「×月×日×時頃到着するから、これこれの患者を△名受け入れろ」と有無を言わさぬ指示が来て、てんやわんやだったようです。まぁ、あの大混乱のさなかではある程度致し方なかったのであろうとは思いますが。
近隣の運動公園や公民館、体育館などでは被災した人を大量に受け入れており、福島ナンバーの車が大量に停まっていました。当院の医師たちも、避難所に出向いて診療や衛星相談に乗ったりしていました。スリッパがなくなるとか、ペットの事でトラブルになるだとか、トイレが足りず衛生環境が劣悪だとか、生々しくも解決困難な悩みをたくさん聞きました。
病院の駐車場もひび割れ、停まっていた車も傾いていました。
東医駐車場のひび割れ

それだけではなく、家にいても病院にいても余震が毎日のように起こっていましたし、1週間ほどは毎晩何度も余震で起こされました。
道路も波打ち、路面はひび割れ、常磐道でも路面がガタガタで、危なくて60㎞/h位しか出せませんでした。
傾いた電柱

湾曲した路面

余震はつい最近まで月数回の割合で起こっていましたし、霞ヶ浦付近の堤防もやっとつい最近、震災で破損した部分の修理が始まったばかりです。

今年の3月11日は、会議の際に皆で黙祷を捧げました。

愛知県の人は、阪神大震災の時も今回の震災も、極めて危機感が乏しく、対岸の火事だと思っている人が大多数です。ですが、他人事ではありません。近い将来起こると言われている、東海・東南海・南海地震の時にはどうなるかわかりません。
当院でもBCPの策定が急務です。

何はともあれ、被災地の復興がよりスムーズに進むことを切に願います。

改めて、震災や関連で亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。
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