前回、当直と夜勤の違いから始まって、労基法の話から、はては医療政策にまで話が及んでしまいました。
とにかく医療というのは特殊な産業で、経営母体は国公立から民間、大規模から零細まで幅広く、携わるのは国家資格を持った人が中心でマンパワーが限られる上に人件費がかさみやすく、緊急事態が常態で、おまけに公共交通機関や電力などと同じ社会インフラでもありますので、業界内部の話と政策・社会情勢ががっちり食い込んでいて、とどめに国民の健康を左右するという特性から、感情論や生命倫理ともあいまって、とかく話が複雑になりやすいのです。

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さてそれでは、前回の話の続きです。
もともと、医師(勤務医)は「組織立って自分たちの権益を守る」という意識が割と希薄でした。
そうなったのにはもともと江戸時代から続く医師の徒弟制度と、明治・大正の頃からの大学教授の権力構造、医師の社会的地位、医師会という組織の特性など、色々な条件があって、それはそれで話のネタとしては面白いのですが、本題から外れてしまうので、今回は見送ります。

そう言う縦割り世界でしたので、「勤務医」全体としての権益は守られてきませんでした。
その結果、どうなったか。
勤務医の劣悪な労働環境が平成の時代まで残り続けることになったのです。


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やっと本題に入りました。


そもそも、昔から医師の労務管理は滅茶苦茶でした。出退勤のタイムカードもろくにありません。「その日勤務しました」という出勤簿があるのみです。遅刻しても給料に響かない代わりに、終業時刻など有名無実です。

おまけに、昔から「医者たるもの」という聖職者意識が染みついていて、「医者たるもの、給料や労働時間のことを言うのは意地汚い、医師としてのモラルが低い」「命を預かる医者ともあろうものが、サラリーマンみたいなこと言うな」といった空気が業界内外に色濃く残っていました。
サービス残業どころか、残業などと言う意識すらありません。大学なんかに努めていると、午後5時以降、ようやく落ち着いて仕事ができる時間に入るんです。検査データを読んだり、カルテを書いたり、時にはご家族に病状の経過報告をしたり、資料集めをしたり・・・。場合によっては医局会やら抄読会やら職員研修やらで拘束されることもあります。
それが労働時間に入るなどと言う意識は、多くの勤務医が持っていないでしょう。
かく言う私も、神経内科に勤めていて、5時に仕事が終わった記憶など皆無です(その辺、精神科は楽でした)。むしろ、「ああ、これでやっと落ち着いて仕事ができる」という時間帯です。8時半に出勤して、12時間勤務などと言うのは珍しくも何ともありませんでしたし、そのことに何ら苦痛や疑問を感じていませんでした。
研究会でもないのに5時に帰るなんて、何か悪いことをしているような気になります。夜8時9時まで働くのが当たり前なので、そもそも5時に帰宅してもどうしていいかわからないのです。



今でこそ管理者の立場の私ですが、つい数年前までは大学病院の一勤務医でした(今でも非常勤医師ですが)。それまで労働基準法なんてほとんど気にしたことがなく、「8時間労働の場合、最低1時間の休憩を与えなければならない」なんていう規定があることも知りませんでしたし、有給が与えられているなどと言うことも、医師になって数年間は知りませんでした。

私も研修医時代はかなり厳しい―今から考えれば劣悪と言っていい―労働環境にありました。
昼食も自分で時間を見つけて食べに行く感じで、用事があれば後回しです。我々は内科医だからまだいいですが、長時間手術をこなす外科医ともなれば、昼抜きなど当たり前です。
もちろん、決まった時間に外へ食べに行くなどと言う慣習もありません。いつも職員食堂です。味もまぁ、決して褒められたものではありませんでした(ちなみに、自慢ですが当院の食堂は旨いです)。
職員食堂で注文したランチが着た瞬間にポケベル(当時はPHSなどありません)が鳴って呼び出されることもしばしば。食堂のおばちゃんも心得たもので、「じゃぁ、とっといてあげるわ」なんて感じで、後から行くと似たようなランチが2つ3つ並んでいることもよくありました。
これはもう管理者がどうこうと言うより、自然とそう言う空気が出来てしまっていたし、管理者自身も若い頃はそうやって育っていたのでしょうし、業界の風土とでも言いましょうか。
とどめに、それだけ働いていても、大学の勤務医の給与って、当時は悲惨だったんです(その話は次回に)。

特に厳しいのが、良く知られているように救急と産科と小児科です。
最近は、医療系のドラマや漫画なども数多く出ていて、医療業界の厳しさも大分知られるようになってきました。
医療の高度化・市民の意識の変化等と共に訴訟リスクも増大し、種々の事件も起きています。
大きな契機になったのが、福島県の大野病院事件ですが、どんどん横道にそれるので、これはまたの機会にしましょう。


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とにもかくにも、それだけ酷使されていても、前述のように「集団で声を上げて、労働者としての医師全体の利益を保護する」という意識に欠けるので、労働組合のある一部の病院を除いて、医師の労働は過酷でした。
労働組合のある病院は、それはそれで大問題でもありましたが。

全国的に見れば、看護師には看護協会がありますが、医師にはありません。
「日本医師会があるじゃないか」という声が聞こえてきそうですね。あまり知られていませんが、あれはクリニックなどの開業医を守る団体であって、医師全体を守る団体ではないんです。今では勤務医部会などと言うものも出来て、随分気を使うようになったみたいですが。自民党への圧力団体としても有名です。

「患者さんの生命・身体を守る」「家族の思いを受け止める」などと言うことをやっている間に労働時間は果てしなく長くなっていきます。しかしどれだけ頑張っても収入はあくまで病院に入るのであって、自分の懐に入る訳ではありません。どれだけ働こうが、給与は最初に決められたとおりにしか支払われません。
前回書いたように、夜の宿直や休日の日直も、事実上通常勤務と変わらないのに、取り扱いは法的には「宿日直」なので、一定の手当さえ与えておけば、どれだけ働かせても勤務時間超過にならないという訳です。


そんな状況が、平成13~14年頃までずっと続いてきました。
それが、ある事件をきっかけに一変したのです。

その事件とは?

以下次号。
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