前回の続きです。

医師の勤務状況を一変させた事件とは何か。
その前に皆さん、研修医はつい10年ほど前まで労働者と認められていなかった、と言ったら信じられますか?
嘘のような本当の話です。

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平成10年に、関西医科大学で臨床研修医が死亡する事件が起きました。
簡単に言えば、研修医が過労死して、父親(社会保険労務士だったようです)が独自に勤務状況を調べ上げたところ、「今時こんな劣悪な労働環境があっていいのか」と愕然としたという話です。
この手の問題は以前から散発していたのですが、みんな泣き寝入りしてきました。ところが、このお父さんはさすがに専門家です。労働者の基本的権利が守られていないという深刻な問題に気付いたのでしょう。
驚いた父親はマスコミも巻き込んでこれを社会問題にしました。敢えて問題提起したかったということのようです。
マスコミも飛びつきました。
ただ、お粗末だったのがマスコミの報道姿勢です。いつもの癖ですが、この問題を「全国のシステムが悪い」のではなく、「関西医大が悪い」という(そう受け取れる)色合いの取り上げ方で済ませてしまいました。
国やシステムが悪いという報道をしなかったのです。

折悪しく、この事件が発生した平成10年当時は、全国あちこちの病院でケアレスミスによる死亡事故が多発し、マスコミの医療バッシングが恐ろしく激しかった頃です。そのためか、この研修医死亡事件も我々が期待したほどの大騒ぎにはならず、医療バッシングが緩和されるほどではありませんでした。

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それはさておき、この件は結局訴訟になったのですが、ここでのポイントは、大学側の主張です。
すなわち、「研修医は教育を受ける身分であって、労働者ではない」というものです。
従って、1日8時間、週40時間を超えて働かせてもよく、しかも給与は支払われていません。支払われるのはあくまでも「奨学金」であって、大学側の好意で出してあげているものです。
実態としては、大学の医局に所属し、大学病院に常勤して、その指揮・命令のもとで診療行為を行っている訳なので事実上は「労働」を行っているのですが、大学の言い分は、「それはあくまで『研修』、すなわち教育の一環であって、他の者が行う『労働』とは一線を画す」というもの。いわばOJTと言ったところでしょうか。断っておきますが、研修医と言えども、医師国家試験をクリアして、きちんと医師免許を取得した、れっきとした医師です。
一般の感覚からすると、大学側の言い分はいかにも苦しい言い訳のように聞こえますが、実はこれ、当時の大学病院における一般的な感覚であって、何も関西医大に独特なものではありませんでした。


私が研修医時代にも、「研修医には労働基準法が適用されない」という話を聞かされていましたし、「過去に、研修医の身分が争われた際に、結局労働者としては認めないという事になった」という話を聞いたことがあります(それがただの申し合わせ事項なのか、司法判断なのかは知りませんが)。
現に、私の母校でも、私が卒業した平成8年からで研修医の給与は基本給が月13万でした。全国的にはこれでも相当優遇されていた方です。その前の年が11万、その前が7万、その前まで5万でした。その後も、東京の医大病院に就職した後輩たちに聞いてみましたが、慈恵医大、順天堂、東京医科歯科大、東京女子医大・・・みんな月5万ぐらいです。私が卒業して5~6年の間は、どこでもそんなものでした。


研修終了後がまた酷くて、当時(今はどうだか知りませんが)「無給助手」という制度がありました。その名の通り、大学としては給与を出さない助手です。幸い、私の所属していた神経内科では無給助手を作らない方針でしたので、私自身はそういう事は免れましたが。
大学には有給のポストに人数の枠があって、それをはみ出た場合には大学からは給料は出ません。つまり大学病院に常勤医として働いて、医師としてキツイ仕事に従事しているのにいるのに、そこから給与は出ないのです。大体、卒後4~5年目以上の医師が多かったように記憶していますが、ではどうやって生計を立てていたのかというと、アルバイトです。
週に1回程度、関連病院に非常勤医師として勤務に出て、そこからお金を貰う訳です。
国公立大学なら公務員な訳ですから、人事に枠があるのはわからなくもないですが、実態として明らかに雇用関係にあるのに、給与を出していないって、どういう事なんでしょうか。どうやって法律関係をクリアしていたのか、謎です。


もっとひどいのは大学院生です。そもそも、医局に所属する時点で、一定の医局費を払わされます。院生は、さらに授業料を払わなければなりません。
大学や診療科によっては、「院生の間はベッドフリー(患者を持たなくてよい)」ということになっている場合があり、この場合は過酷な臨床からは解放され、研究に専念できます。生活費はアルバイトで稼ぐ訳です。院生は給与の高い病院に派遣させてもらえる、という暗黙のルールがあったりします。
でも、ベッドフリーにならない場合はきついです。大学で普通に診療しながら給料はもらえず、アルバイトで生計を立て、研究もしなければなりません。大学での診療はやっぱり夜遅くまでかかりますから、当然、研究や勉強は睡眠時間を削ってやることになります。


研修医の場合も、月5万ぐらいの給料で、日中だけでも食事もできないぐらい忙しいのに、加えて夜もほとんど眠れないぐらいの「当直」をやらされる。文字通り、死ぬほど働かされる訳です。
大学病院ともなると、夜間でも救急診療をやっている所が多いです。主として2次・3次救急という様な、救急車を受け入れる病院は夜間でも頻繁に救急車が入ります。そう言う病院なら、3~4時間眠れればよく眠れた方に入るでしょう。
しかも、経験を積まなきゃならないという理由で、患者さんが来たら一番に呼ばれるのは研修医です。研修医で手に負えない場合、上級医を呼ぶことになります。
これがまた当たり外れが大きく、「こんな軽いのでいちいち起こすな」などと言われることがあります。知識も経験も足りないから迷って頼っているのに、それで怒られると「じゃあ起こすなってことか」となります。それは見逃しや事故につながりかねません。そんなことをしたら「お前の責任」と言われます。法的にも、1人の医師である以上、責任を逃れることはできません。

大体、1日の勤務は私の場合ですと9:00から始まり、一応の終業時刻は17時でしたが、実質25~27時ぐらいまで仕事していました(研修医であること+個人の能力の面で要領が悪かったせいもあるのですが)。週に1回は8:00に出勤しなければならない日がありますし、外勤の日も早く起きなければなりません。当時まだ週休2日はまだ一般的でなく、土曜日は第3週だけが休みでした。ただ、土日もほとんど患者を診に出てこなければなりませんでしたし、そうでなくても関連病院の休日当直の業務をこなさなければなりません。関連病院の当直と言っても、いわゆる老人病院が多かったせいで業務自体は楽でしたが、連休の時などは連直もしましたし、とにかく家へ帰れません。正直、2~3日風呂に入らないこともざらでした。おかげでアパートの光熱費や水道代はほとんどかかりませんでしたが。
大学の勤務だけで計算しても、当時で時給に換算して100円ちょっとぐらいだったと思います。それを先輩に言ったら「100円超えてるだけましじゃねーか、俺なんか50,60円ぐらいだったぞ」と笑われました。

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ただ、これには歴史的経緯も絡んでいます。戦中・戦後の深刻な医師不足解消のための方策があって、インターン制度があって、それが廃止され臨床研修制度ができ・・・という流れがあり、その一方医局講座制のピラミッド構造があって、これは単に大学内の問題にとどまらず、当時の医師供給システムにどっぷり絡んでいた話で、加えて人口ピラミッドの変化や医師の需給予測等々、複雑な要因が絡み合った末での話なのです。

そう言う背景を踏まえ、厚労省としても清濁色んな目論見があって、元から研修制度自体を変えることは既定路線だったらしいのですが、この問題があってさすがに慌てたのか、前倒しにしたと聞いています。その分、少々拙速に過ぎた制度になったと思いますが、それはまだ別の機会に。
とにかく、研修医の身分は、制度上守られることになりました。

上記の訴訟でも司法判断で「労働者である」とハッキリ認定されましたし、労働時間や給与面でも一応「ちゃんとしなさい」と国がお達しを出しました。
医局講座制の解体と抱き合わせにして全国の臨床研修システムそのものをごっそり変え、研修医の身分も院長もしくは研修管理委員会の直轄ということで、各医局からは切り離し、研修病院もマッチングシステムで選べるように変更しました。
これはこれで研修の充実化に一役買っていることは事実です。
ですが、問題も多く、医療崩壊に拍車をかけた一因でもあります。

また、せっかく改善されたはずの待遇も、蓋を開けてみれば当初の予想とは異なるものでした。
そもそも、新制度では「研修医1人当たり月額30万円程度払いなさい」と言っておきながら、国は財源を十分に確保していませんでした。しかも、それを誤魔化すために、1つの研修施設に対しては給与も諸経費も込みで一括支給にしてしまったのです。割り算すると、研修医1人当たり月10数万です。しかもその内どれだけを給与に充てるかは、各病院の裁量に任せてしまいました。
その後の厚労省の調査では全国平均で月30万を達成しているとされていますが、好待遇の民間病院と給与の低い大学病院や関連施設との平均値であって、実態を反映していないとの声もあります。
事実、私の周囲で、現在の研修システムで研修した複数の医師に聞いた範囲内で、研修医時代で30万貰ってる人なんていませんでした。

その辺の制度に関することでは、もう言いたいことが山の様にありますが、とてつもない分量になるのでやめておきましょう。

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ともあれ、医師、なかでも研修医の劣悪な労働環境は、一定程度改善されることになりました。それに伴って生じた弊害もいろいろあって、その一部は医療崩壊に拍車をかけている面もあるのですが・・・・・・それは別の機会にしましょう。

「医師は今でも労働基準法の適用されない勤務形態にある」という、たった1行で済む話を、延々続けてきましたが、とりあえずこの辺でひとまず区切りといたします。


あぁ、疲れた。重い話題は書く方も疲れます。
次回はもっと柔らかい話題にしましょう。
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