フランスでテロが起こりました。

罪もない人が多数犠牲になりました。痛ましい事件です。
フランスを含め、世界中で「言論の自由に対する挑戦だ」と非難囂々で、
100万人単位でのデモも行われ、各国の首脳も参加しました。

確かに、言論の自由は守られるべきだし、罪もない人々を巻き込む暴力は許されるものではありません。
しかし、ちょっと待って頂きたい。
盗人にも3分の理といいます。
ここでは、ちょっと違った視点でこの問題を眺めたいと思います。

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もともと、これはイスラム教徒の一部過激派組織とアメリカをはじめとする欧米諸国の対立軸の中から生まれた事件ですが、直接の引き金はフランスの出版社の風刺画です。

そもそも、この出版社はいろいろな社会風刺画を掲載する会社だそうで、これまでも何度かイスラム教徒を怒らせるような内容を掲載していたとのことです。
今回も、その内容がイスラム過激派を刺激したことが事件の引き金を引いたようです。
事は宗教ですから、例えば政治家を批判するような内容とは訳が違います。
その内容が不必要に挑発的だったのではないでしょうか。
言論には言論で対応するのが筋ですが、何度も挑発行為を行っておいて、一向に改まらないならポカリとやられても一方的に怒ることはできないと思います。
構図としては、いじめとよく似ています。
多数派があまり深い思案もなくちょっと茶化したぐらいのつもりでやったっことが相手を深く傷つける。
相手が粗暴行為に及ぶ。引き金を引いた方は、「そんなつもりじゃなかった」「笑って受け流せばいいのに」と言う。
出来ないことを言うもんじゃありません。

宗教観の乏しい日本人は、お釈迦様を侮辱されても、人を殺すほど激怒することは考えにくいですよね。
どちらかと言えば、天皇を侮辱された方がその感覚に近いのではないでしょうか(天皇家が宗教と同じだと言っているのではありません。念のため)。


逆の立場で、キリストを侮辱されたことを想像すれば簡単でしょう。
この出版社がキリストを茶化すような内容を掲載しているというならまた話は別ですが。
 調べたら、イエス・キリストやローマ法王も思いっきり茶化していました。
 国や地域・文化・宗教を問わず、風刺の対象にしているようです。
 さすが、自由と平等を愛する国、フランス。公平ですね。
 もう少し博愛の精神があってもいいような気もしますが。

元はと言えば、イスラム教よりキリスト教の方が排他的で、選民思想の要素を孕んだ宗教です。
そして、フランスはキリスト教の文化圏です。
世界的マジョリティであるキリスト教圏の人の驕りが透けて見える気がします。
それと、自由には責任もついて回ります。
言論機関としては、やはりある程度の節度は求められるのではないでしょうか。
ことに、キリスト教対イスラム教なんて構図が、これだけ色んな問題を引き起こしている今の時代ならば特に。


もちろん、過激派のやり方が許される訳ではありません。
また、だからと言ってこれまでのスタイルを替えれば、言論が暴力に屈したことになってしまいます。
ちょいと叩かれただけでほいほい引っ込めるようなら、最初から言わなきゃいい訳で。
しかしながら、このまま放置すると、挑発合戦になってしまいかねない危惧を孕んでいます。
もう少し穏便に・・・と考えるのは日本人的感覚でしょうか。

もっとも、逆に日本の言論機関には、この位の気骨を持ってもらいたいとも思いますが。
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