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・・・ということを、数多くのメディアが報道しています。
年数が経過したことと、東日本大震災のインパクトが大きすぎたせいか、最近その存在感がかすみがちですが、
あの震災は、色んな意味で日本全体にショックを与えました。
医療業界においても、災害時の救急医療やメンタルケア、災害時ボランティアなど多くの面で知見やノウハウが蓄積されました。
私も、あの日のことはとてもよく覚えています。

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その当時、私は栃木県に住んでいて、医学部の5年生でした。
朝から脳外科の実習、しかも担当した患者さんの手術の日だったため、朝起きてすぐさま病院に向かいました。手術後はそのまま病棟実習へ突入です。
午後1時頃、指導医から許可が出たので、昼食に向かいました。途中、病棟のラウンジで患者さんたちがTVを見ていました。何やらワイドショーが騒いでいるな、位にしか思わなかったのですが、遠くに見た画面が灰色だったのを覚えています。
色々あって、家に着いたのは午後6時半を回っていました。
TVをつけると何やら大災害が起きた模様。
空撮の映像で、一目で崩壊した大都市と分る廃墟。
あちこちから太い黒煙がいくつも登っています。
「うわー、ひどいなー・・・・どこの国だろ」
等とのんきなことを言っていました。
画面が切り替わり、高架の道路が横倒しになっています。さすがに目を疑いました。
でもって、その後ろの景色は・・・何だか日本によく似た雰囲気です。
しかも、聞こえてくる地名がどうも日本ぽい。
「・・・・え?・・・・えっ?・・・・・嘘だろ!?」
思わずTVにかじりつきました。

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数ヶ月後、大阪の伯父を訪ねました。
「災害の跡地を見ておくのも何かの勉強になるだろう」と呼んでくれたのです。
あちこちで屋根にブルーシートがかかり、傾いた電柱やビル、原形をとどめない瓦礫となった建物。
生で見るとやはり衝撃が違います。胸に迫るものがありました。
空襲や関東大震災って、こんな感じだったんだろうなぁ・・・。
と想像をめぐらせました。

まだ、行方不明者の捜索も続いていました。

背景は異なりますが、在原業平の詠んだ短歌を思い出しました。
 「名にし負はば いざこと問はむ都鳥 我が想う人はありやなしやと」


あれからもう20年。
阪神大震災後に生まれた子供がもう成人です。
月日の経つのは速いものですが、あの衝撃を風化させてはいけませんね。
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